「大河」の舞台裏 5

読売新聞 7月15日付 夕刊

考証家 池田屋事件に注文

 1980年代後半、時代劇ブームが起き、年末年始には民放各局で特別番組が乱立した。東映制作の『太閤記』もその一つ。本能寺の変で明智光秀と織田信長が一騎打ちをするシーンがあり、驚いた。荒唐無稽は承知の上で、娯楽に徹するところが民放らしかった。NHKなら、視聴者から電話が殺到するだろう。
 大河ドラマが歴史ドラマ路線を確立したのは、65年にヒットした3作目『太閤記』だった。ドキュメンタリーから出発し、名ディレクターとして鳴らした故吉田直哉さんは「遠い昔のお話ではなく、現代人にも身近で、生き生きとした内容にしたい」と、史実に基づくリアリズムを重視した。「社会科ドラマ」とも呼ばれ、大きな影響を与えた。
 『龍馬伝』で時代考証を担当するのは、日本近世史を専門とする大石学・東京学芸大学教授(56)。NHKでの仕事は『新撰組!』『篤姫』に続いて3度目となる。民放からも頼まれるが、「大河は視聴者の期待感が大きいから、引き受けるには覚悟がいる」と率直だ。
 ストーリーについて「こういう展開はおかしくないか」との相談に乗る。「桜田門外の変で門は開いていたか」といった問い合わせに対し、「即答できるのは2割。あとは調べないと答えられない。思いがけない質問も多く、新たな発見の連続」と受け止める。
 脚本はもとより、編集後の映像にも目を通す。史実と違った場合、指摘はしても、最後は制作者の判断に任せる。例えば、『龍馬伝』の土佐藩主山内容堂(近藤正臣)は年を取りすぎていると思ったが、「特異な人物設定を強調するため」という説明に納得した。
 ただ、「人の生死はできるだけ正確に」と注文する。龍馬の仲間が池田屋事件に遭遇し、龍馬が駆けつける回では、「池田屋内で死んだのではない」と指摘し、路上に変更された。
 「あつては野党的な立場で『これはありえない』とチェックしていた。今はドラマを面白くするため、『資料にはこんな話しがある』とアイデアも出す。すっかり与党ですね」。龍馬が懐に手を入れた有名な写真を例に挙げ、「ピストルを持っていたとの説に対し、『万国公法』という書物の方が、国際化に目覚めた龍馬らしい」と提案する。
 大河ドラマでは、建築や衣装の考証のほか、立ち居振る舞いのアドバイスをする所作指導、土佐弁をはじめとする方言指導など、外部の専門家たちも番組作りを支えている。

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